祖父は高校時代にグレていた

大正7年生まれの祖父にまつわることなど

戦争に反対する者にとって、戦いに勝っても”負け”

 昭和十七年度(一九四二)には、新校長が着任した。そして、新校長と昨年度新卒で着任した先生と私の三人が、駐在所跡の住宅で自炊生活をすることになった。物資の不如意の中、男三人の自炊生活は、何にしても味気ないものであった。

 そんな折、裏山手のお宅で、風呂や夕食に誘ってくれたり、南側の中部電力の住宅にいた駐在員の方が、よく野菜などの差し入れをしてくださった。温かい気持ちがとてもうれしかった。

 戦況の報道を聞くにつけ、勝ってもいいことばかりにはならないだろうし、負けても困ったものだと思った。言論統制はますます厳しくなって、河合栄治郎先生は検挙された。

 私が世の中を批判したメモを、校長に見つかって、「気をつけないといけない」と注意されたことがあった。

(祖父の自分史より抜粋、記述内容は1942年(昭和17年)前後、祖父24歳のころ)

 

祖父は、戦争に勝つことなんて期待していなかった

戦争に反対する者にとって、戦いに勝っても負けてもいい事なんて何もない。勝ち負けの議論ではないけれど、始まった時点でもしくは始まりそうな時点で、不安や無力感、焦燥感を感じていたのだろうと想像します。上司に注意されたメモの出来事の詳細は別の投稿で。

これは敗戦後の祖父の弁解ではなく、上司に注意されうっかり国賊呼ばわりされそうだったところからすると当時からそう思っていたようです。でも、もし弁解だったとしてもいいと思います、それを政府のせいだと正当化して被害者ぶるのではなくその後に間違いを認めるのであれば。さすがに祖父も、真っ向から戦争反対を唱える勇気はなかったようです。

 


戦争を始めない努力をしなければいけない

戦争そのものをしたい人はいないと思います。それでも戦争が起こるのは、それで利益を得る人だったり、憎悪や怒りを抱え続けた人の結果でしょう。多くの人が望まないのであれば別の方法で解決して、始めない努力をしなければいけないと強く思います。戦争に反対する者にとって、始まった時点で負けなのです。

書籍芦部信喜の中に、憲法九条に関する「政治的マニフェスト説」が紹介されていました。法学者の高柳賢三が1950年代に唱えたもので、政治をするものに直ちに義務づけるものではなく、理想を表明したものである、と。戦争や武力行使を永久に放棄することと、武力組織である自衛隊の両者が共存する矛盾は、今は矛盾するかもしれないけれど、為政者にとって今の状態が違憲ではなく、矛盾を解く方向に進まなければいけないという考えだそうです。私はとても納得しました。私は戦争と武力行使の放棄をしてほしいし、自衛隊も尊重する考えです。

(憎悪が戦争の原因となる点は、また別で書きたいと思います。)