祖父は高校時代にグレていた

大正7年生まれの祖父にまつわることなど

祖父

戦争教育に使われる教員

戦時体制作りに協力するように、教職員の再教育が行われた。例えば、「八紘一宇」(アジアの諸国が仲良く一軒の家のようにまとまって、ひいては世界全体がそのようなまとまりになろうという、日本としての戦争目標。その場合の盟主はもちろん日本を念頭にお…

戦争に反対する者にとって、戦いに勝っても”負け”

昭和十七年度(一九四二)には、新校長が着任した。そして、新校長と昨年度新卒で着任した先生と私の三人が、駐在所跡の住宅で自炊生活をすることになった。物資の不如意の中、男三人の自炊生活は、何にしても味気ないものであった。 そんな折、裏山手のお宅…

戦時下に、上司に「こういうことでは困りますね」と言われる意味

二年目の昭和十六年(一九四一)には二人の新任の先生が着任して、下宿屋へ三人で世話になることになった。 そして、この年の十二月に対米英宣戦布告となった。気になっていた自体が到来した。私は二十三歳になっていた。当時すでに食料や衣類の配給制が始ま…

もやもやしている21歳

昭和十三年度末に、どうせ教職に就くなら勉強しておこうと、専攻科へ入学することにした。 昭和十四年(一九三九)には、日本軍は海南島に上陸し、陸軍大将の阿部信行内閣が成立、海軍中将の平賀譲が東大総長に就任して、その上申によって河合栄治郎、土方成…

昭和13年に徴兵され5か月間の訓練へ

私の初めての教職への辞令は、県東部の郡の小学校であった。当時新卒者は、郷土以外の他郡市の学校勤務が通例であった。 着任してみると、下宿先はすでに予約してくれてあった。中年夫婦のお宅で、近くに教員夫妻の家庭があって、その奥さんが同じ小学校に勤…

このブログを書いている理由

戦争は開戦の時に始まるわけではない 私がこのブログを書いている理由は、祖父の自分史に戦前のことが書かれていたからです。そして、日本国内の政治や世界情勢が騒がしく戦争が日本にも近づく気配を感じ、微力でもそれを防ぐために何かできないと考えている…

「横須賀で訓練をして西へ向かった」

「横須賀で訓練をして西へ向かった」、「教員をしていたから徴兵が遅くて我が家は助けられた」。戦後生まれの母から聞けた祖父母(母の両親)の戦争に関する話はこれだけです。母が戦争の話題を好まないのと、祖父母もほとんど話してくれなかったようです。 …

大正7年は1918年

私の祖父が大正7年生まれというのは知っていました。ただ、1918年という西暦で考えたことがなくて、第一次世界大戦が終結した1918年に生まれていたとは全く認識できていませんでした。祖父は今から20年ほど前に亡くなっています。 祖父と生まれ年の出来事、…